働きながら世界を旅する<#2ブラジル編>

当社は1999年の創業以来、場所や時間、生活環境に縛られることなく、社員一人ひとりが最大限の能力を発揮できるよう取り組んでいます。
フルフレックスやフルリモートの実施、育児・介護との両立支援、さらに近年では国内外でのノマドワークなど、多様な働き方を社員とともに実現しています。社員が仕事と生活の両方を充実させることで、お互いによい影響を与え合い、組織全体の生産性と業務品質の向上に貢献しています。

この連載では、社員が自分らしい働き方を模索し、実践している様子をお伝えします。

はじめに

こんにちは。イーライフシンガポールオフィス所属のグローバルコンサルタント 坂元です。
私は昨年から念願のノマドワークを始めていて、現在月に2~3カ国を訪問し、その地での生活を体験しながら仕事をしています。
本ブログでは、私の海外ノマドワークの体験を通じて、仕事とプライベートのバランスを取る方法や、訪問した国々の文化や、地元の人々との交流について連載していきます。
第2回目は、4月末まで滞在していたブラジル連邦共和国でのノマドワークの様子をお届けします。

ブラジル連邦共和国について

前回のカザフスタン訪問に続き、今回は南米に位置するブラジル連邦共和国を訪れました。ブラジルは日本の22.5倍の面積を持ち、2022年時点で人口は約2億1,531万人です。

今回は、ブラジル南東部に位置する国内第二の都市リオ・デ・ジャネイロに行きました。 この都市は、2016年の夏季オリンピックの開催地であり、世界的に有名なリオのカーニバルや新・世界七不思議に選ばれたコルコバードのキリスト像で知られています。

1922年のブラジル独立100周年を記念して、1922年から1931年にかけて建設されたコルコバードのキリスト像。高さ39.6メートル(内台座9.5メートル)、左右30メートル。その内部には、約150人が入ることができる礼拝堂がある。

コルコバードの丘から見た景色

ノマドワーカーの旅行計画と柔軟な働き方

ノマドワーカーとして、時差が大きい国(12時間)への移動は、できるだけクライアント企業やチームメンバーが休みをとっている時期を狙います。よって今回は、かねてより行きたかったブラジルとアルゼンチンへの訪問を、日本のゴールデンウィーク期間に計画しました。(アルゼンチンについては次回のブログで紹介します)。また、その週は米国企業との打ち合わせが集中しており、ブラジルとアルゼンチンが米国との時差がほぼないということも、選定理由の一つでした。

ノマド生活では、業務の流れを見越して旅行計画を立てることが重要です。日本のチームメンバーとはあらかじめ時間を調整した上で、打ち合わせやコミュニケーションを取りました。
フルフレックス勤務の柔軟性を活かし、家族や友人と旅行やその国で特別なイベントがあるときに休暇を取る一方で、休日や週末でも業務を行うことが可能です。この自由な働き方は、計画的なスケジュール管理と適切なコミュニケーションがあってこそ実現できるものだと感じています。

カザフスタンからブラジルへの移動

24時間のロンドン経由フライトを経て、カザフスタンからブラジルへ到着しました。飛行機内では仕事も行いつつも、基本的にはできるだけ眠るようにして体力の回復に努めました。ノマドワーカーにとって、移動が長時間となる飛行機での睡眠は重要な要素です。

ロンドンでは、乗り継ぎまでの14時間の待機時間を有効活用しました。8時間は業務に充て、残りの時間はビッグ・ベンを見たり、名物のフィッシュ&チップスを味わうなど、都市の魅力を満喫しました。また、搭乗手続きや審査などに必要な2時間も計画に組み込み、効率的な時間管理を行いました。

ロンドンを象徴するイギリス最大の時計台ビッグ・ベン

フィッシュ&チップスの有名専門店「The Laughing Halibut」

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに到着

飛行機内での熟睡と移動中の仕事により、ブラジル到着後はすぐに食べ歩きや観光を楽しむことができました。ブラジルの気温は20~30℃ほどと暑いですが、リオ独特の街並みは他の都市にはない雰囲気で新鮮な刺激に溢れていて、歩くだけでも充実感を味わえました。

魅惑のサンバ体験

サンバ(Samba)は、ブラジルの代表的な音楽ジャンルの一つであり、そのルーツはリオ・デ・ジャネイロのアフリカ系奴隷たちにまで遡ります。1930年代に普及し、今では国民的な音楽として広く愛されています。この魅力的なリズムを堪能するため、地元のサンバクラブを訪れ、私も地元の人々と一緒に踊りました。

サンバクラブでは英語が少し話せる地元の男性と意気投合し、彼からブラジルの文化やおすすめの料理など、様々なことを教えてもらいました。サンバクラブの後も、彼や彼の友人たちと一緒に食事も楽しみました。

社会的側面:ファベーラ訪問

経済格差が激しいブラジルでは、主要都市周辺にファベーラと呼ばれるスラム街が点在しています。ここでは不法占拠する形で築かれた住居が密集し、基本的なインフラが整備されぬまま放置されています。警察の立ち入りが困難で、地元のギャングが実質的に支配しているため、安全な訪問には現地のガイドが不可欠です。
私は現地の住民をガイドに雇い、ファベーラを訪れ、そこの家で家庭料理を楽しむ機会を得ました。驚くべきことに、地元のギャングとも話をすることができました。彼らは外見とは異なり非常にフレンドリーでしたが、AK47のような大型銃を所持しており、許可なくファベーラに入ることは非常に危険です。そのため、このような地区を訪れる際には、信頼できるガイドの同伴が絶対に必要です。

リトルアフリカの歴史的背景

ブラジルは砂糖産業を支えるために、過去にアフリカから多くの奴隷が連れてこられました。アフリカを出国した奴隷総数の3分の1以上に相当し、新大陸で最大の奴隷取引数でした。奴隷制度が廃止されたのは、米大陸で最後となる1888年でした。そんな奴隷の売買が行われていた市場、リトルアフリカを訪れました。

多彩な色と幾何学模様で表現された壁画。ブラジルの文化的多様性と歴史を象徴している

リトルアフリカと呼ばれるこの地域は、今日ではアフリカ系ブラジル人の文化と歴史が息づく重要な場所となっています。ここを訪れることで、その苦難の歴史だけでなく、彼らが築いた豊かな文化遺産を感じることができます。

ポルトガル帝国の遺産

ブラジルは15世紀末からポルトガルの勢力圏となり、16世紀から植民地として統治されました。1822年に独立を果たしたものの、ポルトガルの影響は言語、食文化、建築など、多岐にわたって今なお色濃く残っています。南米で唯一の公用語がポルトガル語である国のブラジルでは、その遺産は日常生活の隅々にまで浸透しています。

街歩きの中で、様々なポルトガル式の建築物に出会いました。ブラジルの治安事情を考慮しつつ、貴重品管理には特に注意を払いながら、歴史的な建物巡りを楽しみました。

リオ・デ・ジャネイロのポルトガル王立文学館

ブラジルの食文化:フェジョアーダ

旅の大きな楽しみの一つは、現地の食文化を体験することです。今回も色々な料理を堪能しましたが、特に好きだったのはブラジルの国民食とされるフェジョアーダです。
これは、豚肉や牛肉の様々な部位を豆と共に何時間もコトコトと煮込む伝統的な料理です。肉の味わい深さと、豆と米の組み合わせが見事に調和し、そのコンビネーション、味わいには感動しました。

ブラジルは牛の数が人口を上回るということもあり、夕食はほとんどが肉中心でした。そのため、バランスを考え朝食には積極的に野菜を取り入れるようにしました。

現地でできた友人と食事を楽しんでいる様子

伝統的なフェジョアーダ :豚肉、牛肉、そして豆が絶妙に組み合わされた、ブラジル国民のソウルフード

ブラジルのビジネスインサイト

ブラジルは世界で最も多くの日系人が居住する国の一つで、その数は約200万人(2022年、外務省)にのぼると言われています。このことから、ブラジル国民の間には強い親日感情が根付いており、日本のブランドや製品に対する信頼も高いそうです。ただし、市場には低価格の日系商品が十分に流通していないようなので、ここにビジネスの機会があると感じました。

また、ブラジル人はとてもフレンドリーですが、ビジネスシーンにおいては直接的な拒否や「できない」という言葉を避ける傾向があるそうです。この文化的な特性は海外企業との間でミスコミュニケーションを引き起こす原因となることがあるとも聞きました。私も今後ブラジル人との商談を行う際には、この点に留意しコミュニケーションを取りたいと感じました。

次なる国はアルゼンチン!

エネルギッシュな国民性と触れ合いながら、仕事と生活を両立させる経験は、私にとってかけがえのないものとなりました。出発の6時間前には空港に到着し、アルゼンチン行きの飛行機を待つ時間を使って仕事を進めました。

アルゼンチンでの生活が待ち遠しいですが、現地でのノマドワークの様子は次回のブログで詳しくご紹介します。新しい環境での経験や、仕事とプライベートのバランスについても引き続きお話ししますので、ぜひお楽しみに!

イーライフシンガポールオフィス所属 グローバルコンサルタント 坂元