働きながら世界を旅する<#4ウズベキスタン編>

当社は1999年の創業以来、場所や時間、生活環境に縛られることなく、社員一人ひとりが最大限の能力を発揮できるよう取り組んでいます。
フルフレックスやフルリモートの実施、育児・介護との両立支援、さらに近年では国内外でのノマドワークなど、多様な働き方を社員とともに実現しています。社員が仕事と生活の両方を充実させることで、お互いによい影響を与え合い、組織全体の生産性と業務品質の向上に貢献しています。

この連載では、社員が自分らしい働き方を模索し、実践している様子をお伝えします。

はじめに

こんにちは。イーライフシンガポールオフィス所属のグローバルコンサルタント 坂元です。
私は昨年から念願のノマドワークを始めていて、月に2~3カ国を訪問し、その地での生活を体験しながら仕事をしています。
本ブログでは、私の海外ノマドワークの体験を通じて、仕事とプライベートのバランスを取る方法や、訪問した国々の文化、地元の人々との交流について連載していきます。
第4回目は、ウズベキスタン共和国でのノマドワークの様子をお届けします。

ウズベキスタン共和国について

前回のアルゼンチン訪問に続き、今回は中央アジアに位置するウズベキスタン共和国を訪れました。ウズベキスタンは日本の1.2倍の面積がある一方で、人口は約4分の1です。

ウズベキスタンの首都であり最大の都市であるタシケントに行きました。 「石の街」という意味を持つタシケントは、2000年以上も前からシルクロードの交差点として栄えています。中央アジア最大の都市であり、中央アジアの玄関口として、さまざまな国際線が乗り入れています。

サマルカンド訪問

タシケントから3~4時間電車に乗り、サマルカンドに向かいました。サマルカンドは、シルクロードの要衝として栄えた古都であり、13世紀にはモンゴル軍の侵攻により廃墟と化しました。現在は、現代と過去が融合する街で、青の遺跡の多くは14世紀以降、ティムール帝国の首都として建てられました。

ティムールはチンギス・ハンに憧れていたと言われています

電車の中では、広大な土地を眺めながら仕事をしていましたが、途中で前に座っていたおじさんと仲良くなり、一緒に楽しい時間を過ごしました。相手はロシア語しか話せないため、翻訳アプリを使用してコミュニケーションを取りました。そのためスマホのバッテリーはかなり消耗しましたが、予備のバッテリーを持っていたので問題ありませんでした。仕事や観光を含め、いつどこで何が起きるかわからないため、常に予備のバッテリーを持ち歩いています。

弊社でも翻訳ツールを導入した結果、海外企業との打ち合わせが以前よりも時間短縮され、効率化が進みました。翻訳アプリやツールは、仕事やプライベートにおいて欠かせない存在となっています。

サマルカンドでは遺跡巡りをしましたが、正直に言うと私はあまり遺跡には興味がありませんでした。しかし、ウズベキスタンの人々は逸話や物語が大好きで、各遺跡にまつわる物語を聞くことはとても興味深かったです。ちなみに、その多くの物語は真実ではないそうですが、そうした物語が存在すること自体が魅力的でおしゃれだと感じました。

レギスタン広場は、ウズベキスタンの古都サマルカンドにある広場で「砂の場所」という意味をもちます。三棟のマドラサ(神学校)が建っています

シャーヒ・ズィンダ廟群ネクロポリス(霊廟群)

ローカルな体験:サマルカンドからタシケントへの道中

サマルカンドからタシケントに帰る途中、ウズベキスタンの田舎でよく見かける夜の魚市場に立ち寄りました。私は遺跡巡りよりもこうしたローカルな体験の方が好きです。市場では干魚を味わい、その後タシケントに戻りました。

ウズベキスタンの90%以上の人々がイスラム教を信仰しており、彼らの聖典であるコーランを大切にしています。その最も古いコーランが保管されているタシケントのハスト・イマーム図書館を訪れました。

昼食は観光客が訪れない地元の人々に大人気のラグマンを食べに行きました。ラグマンは中央アジアで人気のトマト味の麺料理で、トマトペーストを加えたスープで煮込んだ羊肉、野菜、唐辛子などの具を麺にのせて食べます。

カザフスタン編でも紹介したこの料理ですが、ウズベキスタンで食べた中で一番美味しい料理でした。Googleレビューで全員が5つ星評価を付けているレストランを発見し、さらにハスト・イマーム図書館の近くだったので訪れました。これまでに訪れた中央アジアの国々で食べたラグマンの中で、断トツに美味しかったです。

昼食後はタシケントの旧市街を歩き、道行く人々と翻訳アプリを使って会話を楽しみながら、タシケントの街を満喫しました。

タシケントの魅力

朝は中央アジア最大の市場(バザール)で、私の大好きな食べ歩きを楽しみました。

移動手段はバスと地下鉄を利用しましたが、旧ソ連であるウズベキスタンの地下鉄は非常に綺麗で有名です。ちなみに、下の画像にある駅のテーマは「文化」で、旧ソ連やウズベキスタンの有名な文化人のレリーフが多数ありました。

中央アジアには無料で入れる遊園地が多く、地元の人々がよく訪れるので、私も行ってみました。驚いたのは、イスラム教の国であるにもかかわらず、カップルが公の場で手を繋いだり、ハグをしたり、キスをしたりしていたことです。

昼食には国民食であるパンとプロフを食べました。パンは聖なるもので、テーブルに直接置いたり、ひっくり返したりしてはいけないなど、様々なテーブルマナーがあります。プロフは宴会などで必ず出てくる国民食で、玉ねぎ、ひよこ豆、レーズンをたっぷり使った贅沢なピラフです。

独立広場にも行きました。ウズベキスタンは1924年に国家分割により、ソビエト連邦内の独立共和国としてウズベク・ソビエト社会主義共和国が誕生し、 ソビエト連邦の崩壊後、1991年8月31日に「ウズベキスタン共和国」として独立を宣言しました。

西洋のメディアだけを見るとソビエト連邦時代は悲惨だったという印象が強いですが、現地で話した十人ほどの人々は、ソビエト連邦時代にも良い点と悪い点があったと言っていました。多くの人が、当時は人々が温かくコミュニティ感があったと話していました。しかし、自由はなかったとのことです。今は自由はあるものの、資本主義の影響かコミュニティ感や人の温かみが薄れてきたという意見を聞いて驚きました。

様々な観光スポットを巡った後、墓地に行きましたが、顔が墓石に彫られていることに驚きました。

ウズベキスタンの夜

ナイトライフについても驚きがありました。イスラム教ではお酒は禁止されているはずですが、ウズベキスタンは旧ソ連の影響でお祈りもあまりせず、お酒を飲む習慣があります。郷に従うという気持ちでウォッカを飲み、夜には多くの人が集まる場所に行きました。

面白かったのは、たくさんの卓球台があり、多くの人がお酒や屋台の食べ物を楽しみながら卓球をしていたことです。

ウズベキスタンのビジネスインサイト

カザフスタンとウズベキスタンを訪れて感じたことは、文化や国民性に違いはあれど、共通言語や似た文化があるということです。

日本の製品は車や工業製品以外はあまり流行っていない印象があるため、ECを通じて中央アジアを全体に販売するチャンスがあると感じました。平均年収は20万円程なので、ウズベキスタンのみで販売するのではなく、中央アジアの富裕層をターゲットにするのが良いと思いました。

次なる国はキルギス!

中央アジア最大都市での経験は、私にとってかけがえのないものとなりました。余裕を持って空港に到着し、キルギス行きの飛行機を待つ時間を使って仕事を進めました。

キルギスでの生活が待ち遠しいです。現地でのノマドワークの様子は次回のブログで詳しくご紹介します。新しい環境での経験や仕事とプライベートのバランスについても引き続きお話ししますので、お楽しみに!